反 知性 主義。 反知性主義とは

反知性主義3 Part 1: 内田編『日本の反知性主義』は編者のオレ様節が痛々しく浮いた、よじれた本。

そして自分が知性であり、それに逆らう連中は者であり、自分を威圧しようとしているのであり、であり者であり、かれらの言うことなど自分の賦に落ちなければ一切耳を貸す必要すらないと言わんばかりの主張をはじめるに至っては、もはや何というべきか。 実際多数派の人たちは「歪み」を歪みとして認識できない傾向が強いのも事実なんですが、正直に言うと、僕はこの辺りから「おれたちは少数派だから世の中の歪みを見つけることができるけど、お前ら多数派はバカだから見えないよね」みたいなモノを感じてしまいました。 「言うことがころころ変わっているじゃないか!」と責め立てても、「あれ?オレ、そんなこと言いました? じゃ、それはなしにして、今日話したことがホントだということにしてください」と開き直るそうです。 強いて言えば、「いろいろな原因の複合的効果によって」というのがもっとも正直な回答なのであろうが、そのようなあいまいな説明を嫌って、人々は「ずばり一言で答えること」を求めた。 」(リチャード・ホーフスタッタ-、『アメリカの反知性主義』、田村哲夫訳、みすず書房、2003年、19頁) この指摘は私たちが日本における反知性主義について考察する場合でも、つねに念頭に置いておかなければならないものである。 すべての反知性主義者はこの点については実に洞察力にすぐれた人類学者だと言わなければならない。

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結局、「反知性主義」って何ですか? 森本あんり(神学者、アメリカ学者)×出口治明(ライフネット生命保険会長) (前編) WEDGE Infinity(ウェッジ)

だから、どうやって税金を払わずに済むかを国民は工夫する。 217,強調はポパー 私はポパーが「科学」について述べたことは「知性」についてもそのまま準用できるだろうと思う。 クリスチャンである著者自ら、キリスト教を「ウイルス」に例えるなど、かなり挑戦的かつ冷静に、宗教を客観視しようとした内容になっています。 肉体感覚で実はわかんないこともあらかじめわかってる、なんていう堕落した怠惰な発想は、知性と本質的に逆行するものだ。 「何をしているのかわからない研究」にも資源が分配されたし、場合によっては「何だかわからない」ということそのものがオリジナリティや創造性を感じさせた。 「どういうふうに化けるかわかりません」という研究には全く予算がつかなくなった。 ピューリタンも、こういった社会に嫌気がさして新大陸に来たが、自分たちが主流になると、まるで「学生時代は全共闘で鳴らしていたのに、就職して出世するといつの間にか体制派に変わっているオヤジのようになった。

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反知性主義とは

ところが、の連中は、目先の相手をその場で有無をいわせずその場で即座に論破しようとしている。 同書で説明したように、「反知性主義」という言葉には特定の名付け親がある。 相手をやっつける言葉として使われます。 その気持ちはわからないでもない。 彼ら と、一方とりたてて信仰熱心ではなかった建国の父祖であるジェファソンやマディソンは「政教分離」と「信教の自由」という点で利害が合致して、連邦憲法の「権利章典」に結実する。 共同体を手作りする。 頭が悪くて、腹も黒い。

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反知性主義者たちの肖像

大覚醒の嚆矢とされるは、当時からして著名な宗教学者で当時の代表的な知識人でもあるが、彼の有名な説教『』に代表されるように、聞き手の心情に訴えかけるという点で、それまでの知的だが退屈な説教とは一線を画した。 そして、貧乏な家に生まれた子どもたちは「イエスマン」になる以外にキャリアパスが開けない。 9784794968180。 どういうかたちで終わるか、次にどういう経済システムが取って代わるのかも予測できません。 ヒラリー、バーニイ・サンダースの時と同様に、 不正選挙が再び行われるかもしれない。

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知性的な人の特徴と磨く方法|知性主義と反知性主義の考え方

ドリュモンはその大著の刊行まで、新聞記者としてある新聞社で働いていた(その経営者はユダヤ人であり、彼はその社で厚遇されていた)。 規則正しく生活していれば、自分で静かに考える時間などもできるでしょう。 源一郎先生は、 反知性主義について書くことが、なんだか「反知性主義」っぽくてイヤだな、と思ったので、じゃあ何について書けばいいんだろう、と思って書いたこと という非常に長ったらしいタイトルの小論を書きました。 稼いでいる人の払った税金が稼ぎのない人のために再分配される仕組みを作るためには、「支払った税金が具体的にどう使われているか、どんな人を支援するためにお金が使われているのか」ということが可視化される必要があります。 これは自分の仕事を他者との「協働」の一部であると考える人は決してすることのないふるまいである。 ロシアや中国もそうです。

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Wikizero

私にとっては無視できない存在なんだろう。 どうやら、ポピュリスト政治家たちを、揶揄する表現のようだ。 「何が悲しくて俺の金が他人のために使われなくちゃいけないんだ」とか「年金も税金も払いたくない」とか「貧乏なのも病気になるのも自己責任だ」というようなとリバタリアン的な主張する人が日本にもけっこういますけれど、その人たちは自分たちが当然のように遣っている上下水道や交通網や通信網や警察や消防や医療や教育が税金によって維持されているということを忘れている。 そしてそれに基づき各種の行動を行う。 そうやって日本の学術生産力はOECD最下位まであっという間に転落してしまった。 そして、多くの陰謀史観論者は「犯人」の特定を二転三転させたが、それを恥じる様子は見られなかった。 一国単位でどれほど適切な経済政策を採択していても、その打撃を逃れることはできない。

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内田樹氏インタビュー【第2回】

自分が気に入らなければ、他国の高官を殺してもよいのか? 仏教は殺生を禁じておる。 いま目の前にいる相手を無視して、300年先にいるかもしれない人間を想定して、いつかだれかがわかってくれる、では意味は無い。 それがの著作のおもしろさだった。 でも、少なくともそれがの一部であることは指摘している。 トランプもそうですが、権力と知性が手をつないで固定化することに対する反発が起きる。

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